雲を掴むような数学

今日は家庭教師で数学を教えてきたわけですが・・・。
中学1年生に数学を教える上で最大の難関なのが、
「数学という概念そのもの」を教えること。
考えてみれば当然のことで、「リンゴはいくつですか」の世界から、いきなり負の数やら代数やら平方根やら、訳の分からない世界に突入していくわけですから。


私は数学を専門にしているわけではありませんし、ヨーヨー界には数学の専門家がいるので滅多なことは言えないのですが、私の少ない経験から「数学とはこういうものなのではないか」ということを次に述べていきたいと思います。


小学生までの「算数」は、いわば「数を効率よく数えていく方法」を学ぶものでした。
1箱30個入りのリンゴ5箱ではいくつか、というのを一つ一つ数えていくのではなく30×5とすれば効率がいいよね、というのが「計算」だったのです。
すなわち、小学校までの「数」というのは、1個、2個・・・というように「目に見えるもの」でした。*1


そこへきて、中学校になるといきなり「負の数」。続いて「代数」。更に「方程式」。
いきなり抽象的な「数学」の世界に放り込まれるわけです。
マイナスとマイナスをかけるとなぜプラスになるのかなんて大人だってあまりよく分かっていません。
おまけに、aだのbだの、訳の分からない文字まで飛び出す始末。
aやbを、小学校での□や○の代わりだと説明してしまうのは乱暴だと思います。
いるんですよ。2a+3aの計算で、一生懸命イコールの右に一つの数字を書こうとしている子が。
または、出るわけがないaに当てはまる数字を一生懸命考えている子が。
=5aという表記で止めてしまっていいのだ、と教えるとものすごく不安そうな顔をします。
彼らにとって答えとは、「確定した一つの数字」なのです。
かけ算の途中で止まっているような答えには違和感があるのでしょう。


中学1年生が初めて出会う「数学」は、いわば「黒船来襲」といえます。
いきなり目の青い変な奴らがやってきて、訳の分からない言葉を喋りながら開国しなければ戦争するぞと脅かしている。
俺たちは「算数」という小さな島国で大人しくしていたいのに。
冗談ではなく、「算数」から「数学」への第1ステップは、明治維新に匹敵する発想の大転換なのです。
「目に見える数」を卒業し、「目に見えない数」を数式だけで考えていく訓練が必要なのです。
これを意識しているのといないのとで、数学の上達度は月とスッポン並に変わります。


ではどうすればいいのかは次回に譲るとして、今回は「何故数学とはかくも抽象的なのであるか」を歴史的観点から論じようと思います。
・・・いや、これも正確な数学史ではないですが。


現代に繋がる数学は、古代ギリシアに端を発すると思って間違いないでしょう。
確かにエジプトやメソポタミアにもすぐれた数学知識はありましたし、それはギリシアにも少なからず影響を及ぼしたでしょう。
しかし、彼らの数学はギリシアの数学とは一線を画したものでした。
エジプト人メソポタミア人は「証明」をしなかったのです。
彼らの数学は測量の際に使用する技術的なものであり、法則や定理は経験的に当てはまるならそれでOKだったのです。
辺の長さが3:4:5の三角形が直角三角形であるということはエジプト人も理解していたそうですが、それがなぜかまでは考えなかったでしょう。
ピラミッドさえ造れれば他はどうでもいいのだから。


そんなことを気にしていたのは、ギリシア人だけでした。
彼らは労働は奴隷に任せていたので、スコレー(ヒマ)に任せて哲学談義ばかりしていました。
ピタゴラスの名を出せばおわかりの通り、「万物の根源とはなんぞや?」とか「人間の精神とはなんぞや?」とか、そんなものと一緒に語られていたのが古代の数学でした。


千数百年後*2にこれらのすぐれた数学知識がヨーロッパに伝わり、現在学んでいる数学の根幹となりました。


数学とは、そもそもの始まりが哲学(場合によっては宗教)だったのです。
そりゃ、訳の分からないものになって当たり前じゃないですか。
現在だからこそそれらの有益性が理解されているだけであり、何にも知らない子供にとっては、地に足のつかない理論でしかないのです。


それをいかにして地面に根を生やした理論にするのか? はまた明日ということで。

*1:例外があります。それは「0」。小学校で習ううち、目には見えないほぼ唯一の数です。実際、これの発明までには何百年もの年月を要しました。

*2:ヨーロッパは、ギリシア・ローマの遺産を直接継承してはいません。それらの遺産の大部分はビザンツ帝国を介してアラビアに伝わり、十字軍を経てようやくヨーロッパに伝わったのです。