真っ黒な鯉のぼり

そろそろデパートに五月人形が並ぶ頃なので、こんな話題を。
あれは幼稚園の母親参観日。先生が鯉のぼり型に切った紙を配り、「さあ、クレヨンで色を塗りましょう!」とおっしゃったわけです。
当時4歳だった私の思考回路。


・・・鯉のぼり? ああ、おばあちゃんちに今かざってあるでっかいお魚のことだな。あんな感じに塗ればいいのか。何色で塗ろうかな?
赤いのや青いのはちっこくて弱そうだし、いちばん上のでっかくてたくましいやつと同じ色に塗ろう。


そんなわけで、いちばん上の鯉のぼりと同じ色のクレヨンを取り出しました。
・・・そう、真っ黒の。
そんでもって、鯉のぼりの側面をぐちゃぐちゃ塗っていたところ、先生が素っ頓狂な声を上げました。
「ユウちゃん! 何やってるの!」
・・・どうやら情緒不安定な子だと思われた様子。
後ろで見ていた母もやってきて叫びます。
「何やってるのこんな真っ黒に塗っちゃって! 隣の子みたいにきれいな色に塗れないの!」
見ると、隣の子の鯉のぼりは、赤青黄色のウロコをつけて、サンバに合わせて踊り出しそうな感じでした。
嘘つけ! そんな色とりどりの鯉のぼりなんか見たことないわい!
・・・と内心思っていても、母はおっかなかったので、渋々反対の面を色とりどりの半円で埋め尽くしました。
そんなわけで私の鯉のぼりは、半分真っ黒で半分カラフルというシュールなデザインになってしまったのでした。


大きくなってからAC(公共広告機構)のとあるCMを見て、あのときとほとんど同じシチュエーションに驚きました。


舞台は小学校。先生が「自由に絵を描きましょう」と指示を出します。
他の子が夢と希望にあふれるホホエマシイ絵を描いている中、一人だけ画用紙を真っ黒に塗っている子がいる。
全部真っ黒に塗り終わると、また別の画用紙を真っ黒に塗りたくる。
先生はびっくりして親に相談し(だったかな?)、親もびっくりしてカウンセラーに相談します。
カウンセラーの先生が「何を描いているの?」と訊いても、その子は画用紙を塗り続けるばかり。
結局子供は入院させられるのですが、病院の中でもその子は画用紙を塗ることを止めませんでした。
親は何十枚もの真っ黒な画用紙を前に途方に暮れていましたが、ある日、画用紙の一部分が塗られていないことに気づきます。
その後続々と一部を塗らない画用紙が出てくるので、母親がとうとう気づき、大量の画用紙を体育館いっぱいに並べ始めます。
そして完成された絵を見たところ、それは巨大な鯨の絵だったのです。


そこでキャッチコピーが現れます。
「子供の夢を、壊さないでください。」


これを見たとき大いに感涙し、「うおおお! 我が意を得たり!」と思ったものです。


子供は、純粋でほほえましく、夢と希望にあふれているものだと大人は無反省に思いこんでしまっています。
確かにその通りかもしれませんが、その「純粋さ」や「夢や希望」が、大人たちの幻想通りに表現されるとは限らないのです。


よく、子供の作品を見て批評する「専門家」たちがいます。
「最近の子供は魚が切り身で泳いでいると思っているらしい」
「今の子は人物にしても小さく描きすぎだ。もっとのびのび育てなければ。」
「子供が蛙を殺す詩を書いた! これは残酷なゲームやマンガが原因だ!*1


嘘つけ。本当にそれは子供の心が壊れているからなのかよ?
あんたが子供だったらどういう表現をするのさ?
子供の表現力や観察力に、大人が妙なワクをはめているだけなんじゃないの?


教育を勉強していて「最近の子供は〜」という議論になったときは、この真っ黒な鯉のぼりを思い出すのです。

*1:実際にそういう詩を書いた子がいて、びっくりした先生が報告、そこから問題が紛糾して朝日新聞の社説にまで書かれる大問題に発展した事件がありました。当時ゲームはありませんでしたが、マンガは例によって親の敵のごとくバッシングを受けていました。