芸術は教育に悪い!

子供にやたらと“芸術”を見せたがる親っていますよね。
年端もいかない子供にブロードウェイを見せたりとか。
ひどいのになると、おなかの子供にモーツァルトを聴かせたりするとか。


確かに、子供の頃からそういった優れた作品にふれさせることは、情操教育の面や価値判断を面からも非常に喜ばしいことなのですが、大きな落とし穴があります。
それは、全ての「芸術」が教育にいいのかということです。
「キー! ああたはモーツァルトの繊細な旋律を侮辱するつもりザマスか!」と言われるかもしれません。
しかし、ちょっと待ってください。私だってモーツァルトの天才的な音楽には敬意を表しています。
ただ、それを年端もいかない、場合によってはママのおなかの中で引きこもっている幼児に聴かせて、いかなる情操を高めるのかちゃんと説明できますか?
そもそもあなた、モーツァルトってどういう人かわかりますか?
そしてもっとも重要なことは、モーツァルトの音楽のすばらしさは、いついかなる時も不変なものなのでしょうか?


モーツァルトでわからなければ、より最近の「芸術家」であるところのビートルズを例にとって説明しましょう。
ビートルズにおける現在の評価は論をまたないと思います。最近では音楽の教科書はおろか歴史の教科書にまで登場し、世界平和のために歌い続けた60年代を代表するアーティストである、と大絶賛されています(もちろん当然なのですが)。
じゃあ、ビートルズが1966年に来日したときの反応ってどんなものだったでしょう?
当時バリバリでロックをやっていたところのうちの親父に訊いてみると、
「学校で、見に行っちゃだめだって言われたよ。」
また、このとき日本武道館でライブが行われたことはあまりにも有名ですが、当時の識者の間では「神聖なる日本武道館であんなキーキー声の騒音をがなり立てるなどけしくりからん」という意見が大多数だったのです。
当時、ロックなんかやるやつは軒並み不良のレッテルを貼られ、うちの親父も「生徒会役員がロックをやるとは何事か!」と、かなりつるし上げられたみたいです。
そんなわけで、私の教科書にビートルズやその他ロックバンドの名曲がずらりと並んでいるのをみて、親父がうらやましがっていました。


話を戻すと、モーツァルトだって全ての世代に支持されていたわけではありません。
特に彼はスカトロジーの傾向もあったわけですし*1、最初はお偉方から眉をひそめられる存在でした。
モーツァルト聴きに行ってきまーす!」と家を飛び出したら、「このドラ息子! また性懲りもなくあんな下品な曲を!」なんて怒られる時代だってあったわけです。


ビートルズにしてもモーツァルトにしても、芸術というのは多くが既存の価値観からの脱却をテーマとしており、往々にして反社会性を帯びるものなのです。
歴史の教科書では既存の価値観をぶっ壊すことは大概好意的に書かれていますが、今現在を生きている我々がそんなことをやったら危険きわまりない場合がほとんどです。
だから、いくら優れた芸術作品といえども、「教育」の名の下に鑑賞させるのであれば、それがどんな作品で自分が子供の何を育てたいのかをしっかり押さえていないと危険です。
6歳の子供に「ゲージュツだからよかっぺ!」ってんでゴヤの「着衣のマハ」を見せて、「このおばちゃん誰?」なんてきかれてまごまごするようなことにはならないでください。
・・・このおばちゃんが誰なのか知っていたら、そもそも見せませんよね。
芸術と教育は、イコールにはならないのです。

*1:但し、これは当時、セックス表現と並びキリスト教的な倫理観からの脱却を表現する常套手段であったそうで、今ほど下品な意味はありません。しかし、それでもキリスト教的価値観からの脱却は大罪であったわけで、いい顔をしない者が多かったわけです