教科書にマンガなんか載せるな!

最近はマンガやアニメも認められつつありますが、「わかってないなあ」というような認められ方をしているものもあります。
あれだけ非難された「クレヨンしんちゃん」が今度社会科の教科書に登場とか。
クレヨンしんちゃんは素晴らしいマンガです。いうまでもなく。
しかし、教科書に載せていいマンガではないです。
なぜなら、野原しんのすけはよい子であってはいけないからです。
教科書のしんちゃんがピーマン残しますか? ウンチが原因で幼稚園バスに乗り遅れますか? ギャルをナンパしますか? パンツ脱いでゾーさん踊りしますか?
教科書の本文に相槌を打つだけならたろうくんとゆかりさんでいいじゃないですか。


「マンガをのせておけば今時の子供は勉強する」という子供だましにすぎないのはもちろん、それにすらなっていません。
勉強する子はしんちゃんなんかに目もくれず本文を読みますし、しない子は杉田玄白をモヒカンにし、ペリーにちょびひげを描いて45分をやり過ごし、学校が終わったら家に帰り、クレヨンしんちゃんが載ってる教科書なんかほっぽりなげてアニメのクレヨンしんちゃんを見るんですから。


教科書会社が版権料を無駄にするだけならいいんですが、こういった清く正しい書物にマンガが記載されていくことによって、原作の方も毒が抜けていくので始末におえません。


クレヨンしんちゃんは以前のような憎らしさがなくなり、ドラえもんなんか完全にいい子になってます(最近4巻を読んで、毒々しいドラえもんに驚愕するとともに、「原作ってこんなにおもしろかったのか!」と思いました)。
最近じゃブラックジャックが何であんなにいい人になってるの? といった始末。
おもしろい作品には多少の毒がつきものですが、それをどんどん除外していったために読んでいて深みがないシロモノになってしまっています。


この手のものを語るのに、「教育に悪いから子供がいかなる手段をもってしても見られないようにせよ」または「教育によいから学校でも取り上げるべきである」の二極論になってしまうのはどうにかならないかと思います。
子供は隠れて読み、親はそれを見つけたら「こんなもん読んでないで勉強しろ!」というのが健全な読み方の場合だってあるのです。