没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心

http://www.asahi.com/komimi/TKY200704190202.html
典型的な「最近の若いもんは」文。
共感したらしたで「こういった反社会的な音楽の氾濫が青少年に悪影響を及ぼし」とか嬉々として書くくせに。


尾崎豊の歌はあまり知らないので、一般論からでも反論できる内容についてつっこんでいきます。

 「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。

この声をそう解釈するのは短絡的でしょう。
むしろこうではないでしょうか。

体制や大人に違法な行動で反抗するのはいかがなものか


このコラム、およびその中で引用されている香山リカさんのコメントで納得行かないのが、
「違法な行動を嫌う」→「反抗心が失われた」
という短絡思考です。
社会に反抗する方法は、何もバイクを盗んだり窓ガラスを割ることばかりではありません。
法(まで行かなくても校則やルールなど)を犯さない反抗の仕方はいくらでもあるわけです。


私が中学生の時、ハイカットの靴を履いていったら「ハイカットはダメ」と先生に怒られたことがありました。しかし、生徒手帳にはそんなことは一言も書いていません。私はそこを突いて猛反論しました。
「先生、生徒手帳のどこにそんな記述があるんですか? もし最近決定したのであれば、明文化された掲示を出すべきです。先生の行為は、罪刑法定主義という法の大原則に反すると思うのですが。」
・・・ああ、なんて嫌な中学生だったんだ俺って。


某チームメンバーの高校は非常に校則が厳しいらしく、今時「髪は耳が出るぐらいまで切る」という校則があるそうな。
ヨー友でそのことに文句を言っていたので「じゃあモヒカンでいっちまえ!」とアドバイスしたのですが、実際にモヒカンで行った人がいたのだそうです。


幸いにも、今は中学校で「家族は対等だ」「人間は平等だ」「子供の権利は守られるべきだ」と教えてくださるので、ちょっと頭の働く子ならそういった社会科の公民で教わる用語を連発すれば、並の先生は黙ります。
・・・別に、違法な手段を執ってわざわざ自分が損をする必要などないわけです。